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    なぜ豚肉を食べてはいけないのか―イスラム教徒に聞いてみました!
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      先日、イスラム教徒のスリランカ人にお招き頂き、スリランカカレーをご馳走になってきました。

      その方は現在、日本で宝石店を2店展開する、宝石商です。

      とりわけ高品質のルース(裸石)の商いでは信用のある方とのこと。

      現在日本とスリランカを往復して、石の買い付けにミャンマーなど産地を飛び回る

      多忙な日々を送っています。


      大変信仰心の篤い方で、上野・御徒町周辺のイスラム教徒のために

      自費でモスクを建て、集会があるときは100人程の信者さんに無料で食事を

      振舞っているそうです。

      なかなかできることではありませんね。

      日本人のスタッフの話によると、どんなに忙しくても

      1日6回のお祈りは欠かしたことがないそうです。


      そんなNさんのお店の一つの2階にある広々した部屋に通されました。

      ほとんどインテリアらしきものはありませんでしたが、

      アイボリーの壁には額に入った古いペルシャ絨毯や、

      コーランの語句のレリーフが刻まれた金属板が3枚、

      飾られていました。

      中央には長さ2m・幅1mはありそうなダークブラウンのテーブルが

      どん、と置かれ、同じダークブラウンの革張りチェアが8脚

      その周りを囲んでいます。


      入口の奥にはレストランのような、プロ用の広々したキッチンがあります。

      Nさんには専属のシェフがいて、その人がNさん夫婦の食事をはじめ、

      モスクにきた人たち全員の食事をこのキッチンで作ります。

      どうりで広いわけです。



      さて、いよいよ料理が運ばれてきました。

      鮮やかな黄色の、ぼってりしたカレー、

      インディカ米のライス、

      大きなチョコトリュフと間違えるほど黒いマトン、

      うっすらと焦げ目のついた鶏挽肉のパテ、

      ゴーヤや玉ねぎ、ピーマンなど数種類の野菜で作ったスパイシーな炒め物、

      それに生野菜。

      飲み物はアルコールは御法度なので、ざくろ100%のジュース。

      デザートに(何だかよく分からない)フルーツを使ったプリンと紅茶に

      いちご(これは「とちおとめ」でした)。


      (これはこの日のメニューではありません。)


      カレーの味は、日本人にも食べやすい物を選んでくれたのか、

      とてもマイルドで、スパイスも控えめな感じでした。

      マトンがあまりに黒いので一瞬ためらいましたが、

      食べてみるとこれが以外に美味。臭みが全然ないのです。


      「全然マトン臭さがないですね」と言ったら、

      「脂身を徹底的に削ぎ落としているからですよ」と言われました。

      確かに、脂身からくるジューシーな感じは全くなく、

      ポクポクした食感は、淡白な鶏の胸肉のような肉を思わせます。


      ゴーヤの入った炒め物は、

      日本で言うと、カレーの付け合せにする福神漬のような感じでした

      (あれほど甘くはありませんが)。

      これを乗せるとカレーの味が引き締まります。


      珍しさも手伝って、食材の話に花が咲いたので、

      ついでにNさんに聞いてみました。

      「どうしてイスラムでは豚肉を食べてはいけないのですか?」


      「豚には「首」がないからです」

      「???」

      私が理解不能な顔をしているのを見て、

      Nさんは笑いながら言葉を続けました(日本語がペラッペラです)。

      「首があれば、ナイフで苦しまずに動物を殺すことができる。

      ところが豚は首がないから、殺すには苦しい思いをさせなければ

      いけません。

      苦しんで死んだ動物には、苦しみのエネルギーが満ちているので

      その肉は汚れているのです。」


      「それと、牛と違って胃が一つしかありません。

      豚は何でも食べるのに、胃がひとつしかないということは、

      汚れたものを食べたらそのまま体に入ってしまうのです。」


      「なるほど。よく分かります。そういう事だったのですか!」


      宗教的な考えとはいえ、私はとても理に叶っていると思いました。

      要するに「バイブレーション」的世界観ですね。

      現在の科学では眉唾ものとして扱われている分野ですが、

      科学が(正しく)進化すれば、感情のバイブレーションを検知し、

      測定できるようになると思います。

      現代は数値化できないものは存在しないとみなされますが、

      感情は、ナノよりももっと微細な領域です。

      存在しないのではなく、「今のところは」測定できないのです。


      いつの日か、感情や意識のバイブレーションが測定可能になったとき、

      今の迷信や偏見が、実は高度な感性による現実認識だった、ということも

      あるかもしれません。


      スリランカカレーはお腹いっぱい食べても全く持たれず、

      ヘルシーな料理であることが分かりました。

      ともあれ、イスラム教的世界観の一端を垣間見た、楽しい食事でした。














      posted by: shigemi | - | 11:59 | - | - | - | - |
      我が家のバレンタイン
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        「どうしよう、困ったなぁ・・・。」

        2月12日の夜、三女が浮かぬ顔をして食卓で頬杖をついていました。

        「どうしたの?」

        聞けば、職場のお局様的な女子スタッフが

        「今年はみんなで上司に手作りチョコをプレゼントしましょう」

        と言った言葉が、いつの間にか「業務命令」となってしまったとか。

        そこで若い女子たちが全員、社長以下取締役たち数名に

        「手作りチョコ」を持参して「召し上がっていただく」ことに。


        「マシュマロを使って、昔チョコクランチを作ったでしょ?

        簡単だし、あれでいいんじゃない?」と私。

        娘「・・・・。」


        好きな人のために作るならテンションも上がるでしょうけど、

        「業務命令で上司にプレゼント」では、作る気も起こらないようです。

        散々考えた挙句、三女は市販のクッキーにチョコをコーティングし、

        その上にアラザンを散りばめたり、カラーチョコで絵を描いたり、という

        超手抜き作品を作ることに決めました。


        翌晩、つまりバレンタインの前日、彼女は夜遅くまでかかって

        たくさんのチョコがけクッキーを作りました。

        見た目もそこそこ可愛い。

        あとは「ラッピングでごまかす」と、中身が見えるおしゃれな袋に

        愛らしいリボンを結んで完成。


        翌朝は眠い目をこすりながら紙袋いっぱいのプレゼントを

        もって出勤していきました。





        私も一応我が家の男性陣にベルギー製のチョコを用意しました。


        まず、長男へ。

         私 「ハッピー・バレンタイン! はい、チョコレート。ベルギー製よ!。」

         長男「あ、僕ね、今ダイエット中なんだ・・・。
         
             でもお母さんのせっかくのプレゼントだから、感謝して頂く。

             有難う。」

         私 「・・・。」


        次男はパス。

        次男は甘いものが大の苦手。

        スイーツなど頂くと、その処置にいたく苦労しています。

        最近は甘いものをいただくと、職場に持って行き、

        社内スタッフに食べてもらっているようです。

        そんな次男は真っ赤な唐辛子をまぶした煎餅が大好物。

        近いうちにチョコでなく、激辛煎餅をプレゼントしようと思っています。


        三男にも持って行きました。

         私  「ハッピー・バレンタイン!ベルギー製のチョコよ。」

         三男 「あそ、有難う。そこに置いておいて。」

        と、一瞬パソコンから顔を上げて、デスクの端にチョコを置くように

        目で合図しました。

         私  「・・・・。」


        さて、いよいよ本命(?)のわが夫へ。

         私 「ハッピー・バレンタイン! はい、ベルギー製のチョコよ。」

         主人「おお、有難う!」 (大きく目を見開きながら)

         私 「ところで、今日チョコは幾つもらったの?」

         主人「そうだな、数えてみないと分からないね。」


        私は奥歯で必死に笑いを噛み殺しました。

        (私以外、誰からもチョコをもらった形跡はありません。

        世知辛い昨今、そういう奇特な女性はいないのですが、

        男って「見栄っ張り」ですね。)


        そして一夜明けた今朝、

        神棚に私がプレゼントしたチョコがお供えしてありました。


        嬉しかったのでしょうね。




        posted by: shigemi | - | 11:59 | - | - | - | - |
        「いいね」の意味論
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          フェイスブックを始めてかれこれ2年近くになります。

          身辺雑記的な記事から、世の中の動向へのちょっとした感想など、

          とりとめもなく投稿していますが、

          いつも戸惑うことのひとつに、「いいね」の扱いがあります。


          英語だとlike itとなっているのを、日本語では「いいね」と訳したのでしょう。

          でも、「いま風邪を引いて、熱が出て休んでいます」とか、

          「大切な人が亡くなりました」という投稿に、「いいね」を押すのは

          なんとなく気が引けませんか?


          ほとんどの人はそういう場合、「いいね」を押したあと、

          「お大事に」「気を落とさないで頑張ってください」といった

          コメントを入れています。


          若い頃、恩師がある人の対応を引き合いに、こう諭してくれたことがありました。


          「いい?『いいですよ』には、色々な『いいですよ』があるのです。

          本当に80点以上の合格点で『いいですよ』という場合もあれば、

          合格点にはちょっと足りないけど、まあ、この程度で我慢するか、という

          『いいですよ』もあります。

          また、合格点どころか、明らかに落第点で、「だめだ、こりゃ」という

          見離した状態での『(もう)いいですよ』もあるんですよ。

          それをきちんと感じ取って、対応していかないと

          相手を怒らせることになりますからね。」


          ある先輩は、恩師が「だめだ、こりゃ」の意味で言った「いいですよ」を

          合格点の「いいですよ」と勝手に解釈し、

          そのまま訂正せずに研究の手伝いを進めたため、

          いたく恩師を怒らせてしまったのです。



          「では、『いいですよ』の違いはどうしたら分かるんですか?」

          と私は聞きました。


          恩師は「そんなことも分からないのか」という顔をして、答えてくれました。

          「相手の表情や声とか、雰囲気に気を付けていれば、

          自然に分かるでしょう?

          表情の『行間を読む』のですよ。

          本だって、書かれている事から、書かれていない事を

          読み取る努力をするでしょう。

          人間も同じことです。」


          恩師は、今の若い人は言葉の記号的な(表面的な)意味を

          「言葉の意味」だと勘違いしている、と言いました。

          ある作家の文章を引用しながら、

          「恋人がたわいない間違いをした相手の女性に、

          『バカだなぁ』と笑っていう場面がありますね。

          この『バカだなぁ』を文字通り英訳したら、どうでしょう。

          この男性の相手に対する思いが伝わってきませんね。

          私ならこの『バカだなぁ』を”I love you"と訳すかもしれません」

          と言ってふっと微笑まれました。


          テクストから自ずと「立ちのぼる意味」を捉えなさい、

          それがその「言葉の意味」である、ということも

          言われたように記憶しています。


          フェイスブックをするようになって

          改めて恩師が言われた『いいですよの意味論』を思い出し、

          この「いいね」はどういう「いいね」なのだろう、と考えるのが

          クセになってしまいました(笑)。



          (上下とも花は木瓜(ボケ)です)




          posted by: shigemi | - | 11:56 | - | - | - | - |
          マタイ効果
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                おおよそ、持っている者は与えられて、いよいよ豊かになるが、

                持っていない者は、持っている物まで取り上げられるであろう。

                                                (マタイ福音書 第13章12節)


            クリスマスも近いので、ここらでちょっと聖書のお話を、というわけではありません。


            「持てる者はますます豊かに、持たざる者はますます貧しくなる」という、

            「マタイ伝」の語句から着想を得て、社会学者ロバート・マートンが

            「マタイ効果」(Matthew Effect)という概念を提唱しました。


            「引き寄せの法則」関係の本などでよく引き合いに出されるので

            ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

            実際、「マタイ効果」の法則は厳然と存在しています。

            何よりも私自身、身をもって体験してきましたから。


            私は生まれつき病弱で、よく言えば華奢な(悪く言えば貧弱な)

            体つきをしています。

            そういう体の持ち主には間違っても力仕事は巡ってきません。

            小学校の給食当番の時も、私はなぜかパンなど、軽いものを

            持つ側になり、まかり間違っても熱くて重たいバケツのような

            スープ入れを持たされることはありませんでした。


            掃除でも、「あ、君、机を運ぶのはいいから、花瓶の水を替えてきて」

            という具合。

            調理実習でも、「中華鍋はあなたではなく、○○さんに炒めてもらいなさい」と

            先生じきじきの指示が飛びます。


            一事が万事、筋肉の少ない私が筋肉を使う機会はいつも奪われ、

            私はますます筋肉の貧弱な体になりました。


            結婚して子供も生まれ、子供会、PTAの役員を歴任しましたが、

            ここでも「マタイ効果」はついて回りました。


            中学校のPTAの役員会の準備をしている時のこと。

            会の前に、お茶当番が湯飲み茶碗とお湯の入ったポット、

            お茶菓子を用意します。


            私がお茶当番の日、当番なら誰でもがするように、

            給湯室で2リットルのポット二つに熱湯を満杯に入れて

            PTAルームまでスタスタと歩いていました。


            すると、後ろから誰かがパタパタっと早足で追いかけてくるではありませんか。

            見ると校長先生が血相を変えて私の方に走って来るのです。

            「あら、校長先生、どうし・・・」と言いかけた私の手から、

            校長先生は二つのポットを奪い取ってPTAルームまで行かれました。


            そして、振り向いてこう言われたのです。

            「いや〜、腕の骨でも折られた日には、こっちの責任になっちゃいますからね。」


            かくて、乏しい筋肉を使う機会はますます奪われていくのでした。


            私とは逆に主人は筋肉を「持てる者」です。

            力仕事は任せて、というタイプです。

            こういう人はまた、何かにつけて筋肉を使う機会が多く、

            ますます筋肉が立派になっていきます。

            何とも羨ましい話です。


            しかし、驕れる者久しからず(笑)。

            「持てる者」には、避けられない「衰え」がある日はっきりと訪れるのです。


            1ヵ月ほど前のことです。

            頂き物の瓶詰めの蓋が、私がでは全く開かないのです。

            (そうだろう、そんな筋肉じゃ無理だよな、いう顔をした)主人が

            余裕たっぷりに「どれ、貸してご覧」と瓶の蓋に手をかけました。



            「うっ」と、主人の顔がみるみる赤くなります。

            が、蓋はびくともしません。

            顔だけでなく、手も赤くなってきました。

            「こ、これは固いな」と、主人が肩から力を込めて

            必死に蓋を捻っていますが、何の変化もありません。


            両親の騒動を見かねたのか、そばにいた息子が

            「何やってんの、ちょっと貸して」と寄ってきました。

            息子が顔色ひとつ変えることなく蓋をねじると

            あっという間に瓶の蓋が開いたのです!


            その瞬間、主人の顔は驚きと悔しさと一抹の寂しさで

            彩られました。

              父   「おお、お前、力が強くなったなぁ」

             息子   「当たり前でしょ。もう27だよ!」

             

            「持てる者」の世代交代は容赦なく訪れるのです。



              

            posted by: shigemi | - | 15:50 | - | - | - | - |
            日本的「ものつくり」の光と影 その2
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              「ものつくり」から少しそれますが、どうしても触れておきたいことがあります。

              それは今日でもよく見られる傾向で、「狭隘なセクショナリズム」とでも

              呼びましょうか。

              官庁が国益よりも省益を優先させるなど、

              現在でも散見できる日本人、あるいは日本人の集団の

              宿痾のような悪しき傾向です。


              先の大戦の時もこの傾向が顕著に現れていました。


              信じがたいことですが、同じ日本軍でありながら、

              陸軍と海軍は共同で兵器の開発をしたことがないのです。

              また、ある兵器を開発して成果が出ても、

              それは相手に秘密にされました。

              ベンツの航空機エンジンを陸海軍が別々に発注し、

              別々の会社に作らせたという話もあります。

              レーダーも別々に開発し、原子爆弾さえも

              陸軍は理化学研究所に、海軍は京都大学に、

              それぞれ開発を依頼し、別個にチームを立ち上げて研究していました。


              そして、痛恨の極め付きは次の事実です。



              実は、陸軍は既に開戦前に米国務省のストリップ暗号という高度な暗号の

              解読に成功していたのです!

              しかし、それは海軍には知らされませんでした。


              そうとは知らない海軍は、独自に少将をヘッドに

              数学者を含む20名ほどのチームを立ち上げ、

              懸命に解読作業を行いましたが、結局成功しませんでした。

              戦争が終わるまで、海軍は陸軍が解読に成功していた事を

              知らなかったのです!!


              陸海軍の、この狭隘なセクショナリズムが、

              どれほどの犠牲を我が国に強いたのか、

              悔しさと怒りで身が震えます。

              もう二度と繰り返して欲しくない事例です。


              これとは逆の素晴らしい事例があります。

              現在の日本の基幹産業である自動車産業を強力に下支えしている

              鉄鋼業の話です。



              日本の自動車産業が今日のように世界を席巻できるのは、

              自動車会社の多様な要求を淡々とクリアして、高品質の鋼板を提供してきた

              鉄鋼業のお陰と言っても過言ではありません。

              日本車は高品質だと言われますが、それを可能にしたのは

              鉄鋼メーカーのシステム技術者であり、制御技術者でした。


              鉄鋼協会という製鉄技術者の組織がありますが、

              そこでは「企業の枠を超え、企業秘密を公開し合った」

              技術者同士の密度の濃い交流がありました。

              製鉄のプロセスは大変複雑で、溶鉱炉の中では

              50以上の化学変化が起きているといわれます。

              その全てに通暁していなくては高品質の鉄鋼を

              生産することはできません。

              その他、圧延機や転炉などの操業を、完璧に制御できなくては

              年産1000万トンを超える粗鋼生産を可能にすることはできないのです。



              鉄鋼業に従事する技術者たちは、自らが開発したノウハウを惜しげもなく公開し、

              お互いが良い製品を作ることを支援しあいました。

              そのお陰で、今日、日本の製鉄業のクオリティは、

              どの企業も大変高いものになっています。


              組織が自分を守ろうとして取る体勢が「セクショナリズム」ですが、

              それは結果として自分だけでなく、自分が属している全体に

              ダメージを与えます。

              場合によってはダメージどころか、

              全体を消滅させてしまうことさえあります。


              反対に、お互いの貴重な情報を共有しあうことで、

              ともに発展していく道を選んだ組織もあります。


              日本は「和」の国です。

              狭隘なセクショナリズムではなく、

              お互いの良いところを共有し合うことで伸びていくのが、

              一番国民性に合っているのではないでしょうか。
              posted by: shigemi | - | 17:00 | - | - | - | - |
              「日本的ものつくり」の光と影 その1
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                  菊作り 菊見るときは 影の人

                毎年11月になると菊の品評会が全国で行われます。

                自然を手懐けて見事に造形するその技には、

                盆栽と並んで日本人の美意識と匠の技術の融合がみられ、

                思わずため息がでてしまいます。


                私たちは、日本が「ものつくり」に長けた国であることを

                大変誇りに思っています。

                繊細で精密で、正確で丈夫で、美しい日本の「もの」。

                そうした「もの」を作る高い技術を持った職人たち。


                「ものつくり」こそが日本のお家芸と信じているわけですが、

                日本の「ものつくり」には見過ごすことのできないある傾向があり、

                それがほかならぬ「日本的ものつくり」に限界を作っているようなのです。

                太平洋戦争の時も、そのために敗北の傷をさらに深めた、

                とさえ主張する人もいます。


                いったいそれはどんな傾向でしょう?


                制御工学の専門家、木村英紀氏の力作を参考に

                日本の「ものつくり」にひそむ「ある傾向」に光をあててみました。



                「ものつくり敗戦」 木村英紀著(日本経済新聞社刊)


                道具を機械に変えたのが西洋型の産業革命だとすれば、

                日本の伝統的な技術は西洋の近代技術と出会うことによって、

                その逆、すなわち機械を道具に変えたのではないか、

                というのが、木村氏の仮説です。


                元来手先の器用な日本の職人は「機械を道具のように扱う」

                ことを職人の理想としてきました。


                するとどうなるかというと、本来画一的に生産されるべき製品に、

                材質・仕様などに「職人のこだわり」が反映されてしまうのです。


                太平洋戦争における敗因の一つとして、

                日米の兵器量の圧倒的格差が挙げられますが、

                木村氏によれば、そうではなく、兵器の質的な差こそが

                実際の戦局を支配したといいます。


                戦前、日本の機械工業では、製品の組立は仕上工の熟練に

                かかっていました。仕上工が、やすりなどの工具を使って

                部品の手直しとすり合わせを行っていたのです。


                たとえば、戦争で最も基本的な武器である銃火器ですが、

                日本陸軍が使用していた38式歩兵銃は、

                職人が一挺ずつ部品を調整しながら作っていたので、

                部品の互換性が同一工場の製品間にしかありませんでした。

                工作機械を使うことを除けば、信長時代の鉄砲鍛治と

                全く変わらないのです。


                部品の互換性だけではありません。

                (あるいは、ないからかもしれませんが)日本では驚くほど多くの

                機関銃が作られていました。

                海軍だけでも30種類の機関銃が作られ、

                弾薬は120種類もあったそうです。


                こういう武器で戦ったらどうなるでしょうか。

                かりにある部隊で機関銃が壊れたり、弾薬がなくなり、

                となりの部隊に機関銃が余っていたとしても、

                部品も弾薬も違っているので融通することができないのです。

                これでは勝てる戦も負けてしまいます。


                こうした多種乱造は機関銃に限りませんでした。

                旧日本軍のあらゆる武器がそうだったのです。

                しかも、設計や生産中に用兵側から頻繁に仕様変更が求められるので、

                生産効率が低下しただけでなく、整備や訓練の精度も落ちていました。


                こうした事態のせいで、命を落とした兵士はどれほどいたでしょう。

                痛恨の極みです・・・。


                ちなみにアメリカは、太平洋戦争を通じて

                重機関銃と軽機関銃をそれぞれひとつの基本形式しか作りませんでした。

                しかもそれらは陸・海、空で共用されていたのです。


                日本型「ものつくり」に特徴的なある傾向、

                それは匠的技術への傾倒と、システム思考の欠落、

                言葉を変えて言えば、「オンリーワンへのこだわり」と

                「全体を俯瞰する眼差しの欠如」ではないでしょうか。


                そうした傾向が前回の戦争では犠牲をさらに大きくしていたことは

                否めません。

                では、それから六〇年以上経った現在、私たちはその傾向を反省し、

                乗り越えてきたのでしょうか。


                先日、ある方に上記の話をしたところ、

                「今でもそうですよ。

                トヨタと日産は小さなネジひとつでも全く違うものを使っています」

                という返事が返ってきました。


                私たちは今、新たなる「ものつくり」敗戦に向かって気づかずに歩んでいるのでしょうか。

                それとも、新しいコンセプトで「ものつくり」に臨んでいる最中なのでしょうか。

                その考察は次回にしてみたいと思います。







                posted by: shigemi | - | 13:00 | - | - | - | - |
                少数民族の言語が教えてくれる「世界の切り取り方」
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                  (ヒマラヤの青いケシ)

                  ヒマラヤ山脈が連なるインド北東部のアルナーチャル・プラデーシュ州に、

                  Googleでも検索できない小さな村、パリジー村があります。

                  ここには、もう2000人足らずしかいない

                  アカ語を話す人々がいます。



                  外界から隔絶された密林に住むアカの人々は、

                  つい最近まで貨幣経済も知らず、

                  徹底した自給自足の生活をしてきました。


                  私たちとは異質なその生活ぶりは

                  その言語にも現れています。



                  アカ語には、「報酬をもらって働く仕事=労働」に相当する言葉が

                  ありません。

                  また、「ムクロウ」という言葉があります。

                  そのままでは「年老いた男」を意味しますが、

                  共同体をまとめる指導力のある女性を「ムクロウ」と呼んだり、

                  若い妻が愛情を込めて夫を「ムクロウ」と呼ぶこともあります。

                  アカ語の「ムクロウ」には、尊敬や敬意、敬愛という意味が

                  込められているのです。

                  動物の名前がないのもアカ語の特徴です。

                  動物は「食べられるか、食べられないか」の2種類しかありません。


                  私たちとは異質な世界の切り取り方です。

                  (アカの少女たち)


                  パリジー村では、どのように共同体の秩序が保たれてきたのでしょうか。

                  それは、とてもシンプルです。

                  連綿と語り継がれてきた神話が人々の行動規範になっていたのです。


                  この神話の語りにはしきたりがあり、

                  伝統的に高齢者が非常に格式張ったアカ語で語り、

                  ひとたび語り始めたら、最後まで語り終えなくてはなりません。

                  途中で話を遮るのも御法度です。


                  けれども最近では

                  若い世代はこの風格のあるアカ語を学ぼうとはしません。

                  辺境の地といえども、最近の若者たちはテレビでヒンディー語を覚え、

                  学校では英語を習い、母語を捨て去ろうとしています。


                  こうして、また世界からひとつの文化と言語が消えていくのです。



                  私たちと馴染みのない民族の文化に触れて思うことは、

                  現在の私たちの認識の仕方や常識といったものは

                  決して普遍的なものではない、ということです。


                  私が面白い、というか、非常に新鮮に感じたのは、

                  トゥバ族の考え方でした。


                  古くは隋書などにも「都播」とか「都波」などと記載されているところから、

                  大変古くから現在のカザフスタン周辺に居住している民族です。

                  エニセイ川の源流域は昔から、匈奴、鮮卑などモンゴル系の民族が

                  興隆した土地ですが、トゥバ族はテュルク語系と言われているので、

                  トルコ系の血が入っているかもしれません。


                  (現在のトゥバ族。民族衣装を着ています。)


                  私たちは「過去」は後ろに過ぎ去ったもの、

                  「未来」はこれから目の前にやってくるものと

                  当たり前のように考えますが、

                  トゥバの人々は、違います。


                  彼らは「過去」を自分たちの目の前にあるものとして、

                  「未来」は自分の後ろにあるものとして考えます。


                  トゥバの人の視点に立てば、

                  何が起きたか既に分かっている「過去」は

                  まさに「手に取るように」自分の前にあり、

                  何が起こるか分からない「未来」は

                  「見えない」ので、自分の後ろにある、というわけなのです。


                  ある意味「なるほど」と思ってしまいました。

                  民族も言語も、「生き物」です。

                  いつかは滅んでいくのでしょうが、

                  それとともにその文化の背景にある世界観、認識法も

                  消えてしまうのは、何としても残念でなりません。
                  posted by: shigemi | - | 15:33 | - | - | - | - |
                  よみがえる神宮の森
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                    平成25年はご存知のように伊勢神宮が第62回の「式年遷宮」を迎えます。

                    遷宮は、室町から戦国時代にかけての約120年を除き、

                    飛鳥時代から現代まで、1300年にわたって連綿と受け継がれてきました。


                    伊勢神宮は正式には「神宮」といい、内宮外宮の他に14の別宮、

                    109の摂社・末社・所管社を合わせた125社の総称です。


                    遷宮ではこのうち内宮外宮と14の別宮の計16社の社殿が建て替えられ、

                    合わせて御装束(神々の衣装や装飾品)、神宝(武具、馬具、楽器、調度品)

                    など、約1500点が新調されます。

                    これらは人間国宝級の職人が精魂込め、伝統的な工法や技術を駆使して

                    作り上げた最高水準の工芸品です。

                    遷宮が日本の伝統工芸技術の継承にも大きく貢献しているのが分かります。




                    社殿の造成に使われる御用材はヒノキが用いられます。

                    今回の遷宮で使われるヒノキ丸太は、

                    大小あわせて約1万本という膨大な量にのぼります。

                    その4分の3は、長野県と岐阜県にまたがる木曽の天然林から切り出され、

                    残りの4分の1は神宮所有の「神宮宮域林」から供給されます。


                    実はこれが大変画期的なことなのです。

                    遷宮の長い歴史の中で、

                    地元の伊勢の森が御用材をまかなえていたのは、鎌倉中期あたりまで。


                    1343年、第35回の遷宮の時、

                    初めて御杣山(みそまやま=御用材を切り出す山)が

                    伊勢以外の山である、尾張の設楽山・美濃の美濃山に移りました。

                    1709年、江戸時代中期の第47回遷宮から御杣山は木曽山に移り、

                    現在に至っています。


                    昔の自然というと、緑豊かな山々を思い浮かべてしまいますが、

                    現実はどうも様子が違ったようです。

                    江戸時代は地域の農民が薪や炭焼きのために

                    山の木々を次々と切り出していたため、

                    日本の多くの山はハゲ山でした。

                    幕末に神戸に来た英国の商船は、

                    ハゲ山だった六甲山を目にしたという記録があるそうです。


                    神宮の森も例外ではありませんでした。

                    「おかげ参り」など、数百万人規模の旅人をもてなすため、

                    神宮周辺の山も乱伐され、荒れ放題となっていたのです。


                    この流れが変わったのが大正年間です。

                    1922年(大正11年)、神宮周辺の山の管理を内務省が行うことになり、

                    内務省が直接伊勢神宮を管理することになりました。


                    翌1923年(大正12年)、明治神宮の森を設計した

                    本多静六や川瀬善太郎ら林学の専門家が神宮の森の実態を

                    憂慮して、「神宮神地保護調査委員会」を発足させました。

                    その年のうちに「神宮森林経営計画」がまとめられ、

                    森の蘇生化に向けて大きく舵が切られたのです。


                    この計画の優れているところは、

                    単なる造林・植林計画ではなく

                    1)風致増進
                    2)水源涵養
                    3)御用材の供給源確保

                    という3つの柱を立てて、今でいう環境保護の視点から

                    包括的に森の蘇生化を考えていることです。


                    さらに、御用材を生産する地域林も、

                    針葉樹であるヒノキだけを植えることはせず、

                    広葉樹との混交林にすることで、

                    できる限り自然に近い森の復元を目指しました。


                    それから90年、初期に植えたヒノキの中には

                    直径60センチの太さに成長したものもあります。

                    その一部が、今回の遷宮で使われることになったのです。


                    鎌倉時代以来、実に700年ぶりに

                    神宮の森の木が社殿の御用材に供されるのです!


                    神宮司庁の営林部長は語ります。

                    「日本古来の森を永遠に循環させ、

                    次の世代へバトンタッチするのが我々の役目です。

                    100年後には御用材のすべてを神宮の森でまかなえるようにしたい。

                    伊勢神宮が日本の森のあるべき姿を映し出せればと思います。」





                    100年後の遷宮―

                    もう私はこの世にいませんが、

                    100%神宮の森の御用材で作られた常若のお社は、

                    ひときわ神々しいエネルギーを放っていることでしょう。



                    posted by: shigemi | - | 15:52 | - | - | - | - |
                    これも「豊かさ」?
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                      仕事でドバイに行ってきた友人からの話です。


                      ドバイといえば贅を尽くした高層ビル群で有名ですね。

                      これらのビルの中はどれも快適で、

                      1リットルあたり何百円(場合によっては何千円)もする水が

                      惜しげもなく使われた噴水や室内プール、

                      そうした高価な水をふんだんに使った大掛かりなインテリア、

                      緑豊かな観葉植物が至る所にあり、

                      砂漠の只中であることを忘れてしまうほどだそうです。


                      この生活を支えているのが海水淡水化プロジェクトです。

                      街中に毛細血管のように黒っぽい管が張り巡らされ

                      処理費用を計算すると1リットル当たり何百円もする真水が、

                      すべての建物に供給されています。

                      このシステムがなければ、砂漠の真ん中の大都市は

                      たちまち廃墟になってしまうでしょう。



                      オイルマネーで潤うドバイには、なんと

                      税金がありません!

                      教育もタダ、医療もタダ。

                      結婚すると政府から平均100平米ほどの家がプレゼントされるそうです!!


                      20代後半の若者の年収は日本円にして800万円から1000万円!

                      彼らの多くは欧米資本の石油関連会社に就職し、

                      あくせく働くこともなく、日々を楽しく過ごしています。

                      アルコールも、アラブ諸国にしては規制がゆるく、

                      ホテル内のレストランやバーではドバイ人でもOKだそうです。


                      そのせいかハングリー精神がなく、

                      貧しい時代を知っている老年層からは嘆きの声が上がっているそうです。


                      友人たちの仕事は、海水淡水化の弊害の解決です。

                      ご存知でしょうが、海水を淡水化する際、真水を採水したあとの

                      高濃度の塩水を排水として海に流します。


                      するとどうなるか。

                      死海のように、魚が棲めない海になってしまうのです。

                      ここ数年アラビア海での漁獲高が激減しています。

                      それはそうでしょう、

                      ドバイに限らず、国土の大半を砂漠が占める国にとって、

                      海水の淡水化システムはなくてはならないインフラです。

                      アラビア海に面する産油国が発展すればするほど

                      海水の淡水化は盛んになります。


                      けれども、それによって海中の生物が危険にさらされているのです。

                      まず、プランクトンが死滅します。

                      ついでそれを餌にしている魚がいなくなるでしょう。

                      海はつながっていますから、

                      これはいずれアラビア海だけの問題ではなくなります。

                      周辺の海域にも高濃度の塩水による弊害が及ぶのは必至です。


                      友人はドバイ政府の要人にある提案をしました。


                      「製塩」です。

                      塩水を海に放流するのではなく、

                      そこから塩を取って「アラビア海の塩」とブランド化して

                      世界中に売ったら、という案でした。


                      政府要人が何て答えたと思いますか?


                      「はっはっは。私たちの国はお金がありますからね、

                      そんなちっぽけな事業しなくても十分やっていけるのですよ。」


                      嘘のような本当の話です。




                                         ジャスミン  (花言葉 は「自惚れ」)

                      posted by: shigemi | - | 12:39 | - | - | - | - |
                      「敵」の存在
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                        ロンドンオリンピックたけなわ。

                        後半に入った最近は日本選手のメダルラッシュが起き、

                        寝不足の反面、朝から誇らしい気持ちでいられて、

                        精神衛生上大変よろしい日々が続いている(笑)。


                        前半では、期待していた水泳の北島康介選手が

                        3連覇どころか、個人では無冠に終わったことが、

                        私にとっては事件とも言えるほど、ショックであった。


                        メディアは早速原因の詮索に忙しい。

                        やれ、年齢の限界説だの、名白楽平井コーチと別れたからだの、

                        様々な憶測が飛び交っている。


                        私はもっとメンタルな原因ではないかと思う。


                        それは「敵の不在」。


                        北島選手が目標ともし、国際大会では常に1,2位を争っていた

                        最大、最良のライバルであった、アレクサンドル・ダーレンオーエン選手(ノルウェー)が

                        今年の4月30日、合宿先の米アリゾナ州で、26才の若さで急死したのである。


                        ダーレンオーエン選手の訃報に接した北島選手は、自身のツイッターで

                        「涙が止まらない」とつぶやき、深い悲しみを吐露していた。


                        「敵」は往々にして味方以上に自分を分かってくれる。

                        「敵」は味方ではできなくらいシビアに自分の欠点を教えてくれる。

                        「敵」は超えるべき課題を教えてくれる。

                        だから「宿敵」を倒すと、人は技も心も進化するのである。


                        こうしてみると、逆説的だが、

                        「敵こそ味方」のようにも見える。

                        言葉を変えて言えば「敵も財産のうち」というところだろう。


                        そう考えると、北島選手の精神的なショックの大きさが分かる

                        (ような気がする)。

                        何しろ「ライバル」という貴重な財産を失ってしまったのである。


                        打倒ダーレンオーエン!を目標に練習に励み、

                        共にオリンピックで戦うことを楽しみにしていた相手が

                        忽然といなくなってしまったのだ。

                        戦いのモチベーションに影響しないわけがない。


                        「敵」の存在は宝なのだ。


                        「敵」というと自分と利害の対立する憎むべき存在という感じがするが、

                        どうもそればかりではないようだ。


                        哲学者でホスピタリティ論に詳しい山本哲士氏によると、

                        ホスピタリティhospitalityの語源は、hostile(=敵対する)につながっているそうである。


                        日本では「お客様は神様」で、神様に粗相の無いよう「おもてなし」をするが、

                        西欧では「客は敵」で、如何に敵に勝つか(=意表を衝くか)という攻めの構えが

                        接客の根底にあるのである。

                        よく「客を感動させる接客」という言い方をするが、

                        これなどはホスピタリティそのものであろう。


                        「敵」もなかなか奥が深いものだ。


                        「敵」に関しては、若い頃恩師から次なる言葉をいただいことがある。


                          道にのった行動をすると、 敵の中に味方ができる

                          道に外れた行動をすると  味方の中に敵ができる


                        思い出すたびに身が引き締まる言葉である。

                        この時、「敵」の存在は「鏡」となって自分の間違った状態を映しているのだろう。

                        あるいは「お前は間違っているぞ!」「考え直せ!」というサインに

                        なってくれているのだろう。

                        有難いことではないか。



                        「敵も財産のうち」 

                        だから

                        「汝の敵を愛せよ」。





                        posted by: shigemi | - | 17:11 | - | - | - | - |